今回は、【遅咲きの人】だから成功する、起業の黄金期が遅く来る人の特徴とは?を解説します!
起業を始めるのに遅いんじゃないかな?と考えている、そこのあなた!
人生に、遅すぎる事はありません!!
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【この歳になって】遅咲きの起業成功者!
50代からの起業の先生、グレースかおりです。
今日は、【遅咲きの人】だから成功する、起業の黄金期が遅く来る人の特徴とは?を解説します。
50代の会社員から起業しようとしている人を8年間支援してきた、50代起業の専門家の視点からお話したいと思います。
定年が視野に入ってきた50代会社員の人より、定年後は起業をしたいとご相談をいただく機会が増えてきました。
その時に、お話をされる前置きとして、「この歳になってお恥ずかしいのですが~」と、起業の挑戦をするのに、年齢を気にされている人がとても多いのですね。
確かに、そりゃ、若くないですよ~!!
人によっては、老眼も板についてきて、白髪もちらほら出てきている年齢で、枯れて来る年齢なんて、寂しいことを仰る方もいらっしゃいます。
しかし、年齢による不利になる点と、逆に年齢を増しているからこそ、経験値なども豊富で、冷静な判断もできるなどのメリットもあります。
一生一回、折角この世に生まれてきたのなら、人から感動を与えてもらうばかりではなく、今度は、自分が人に感動を与える人になりたくないですか?
人生に遅すぎる事はありません!!
夢を持って、自分がこうなりたいと思えば、叶えられると思います。
今回は、人生のピークを過ぎたと言われそうな年齢から、逆転ホームランじゃないのですが、人生を変えた遅咲きの成功者として大成功をした人たちを、ご紹介をします。
そして、そういう人に共通をする成功法則を分析したいと思います。
とても有益なお話ですので、へこたれそうな人がいたら、是非とも、参考にしていただければと思います!
では、行きましょう!
【この歳になって】遅咲きの起業成功者
その1 50代でインスタントラーメンを開発の安藤百福(あんどうももふく)
安藤百福さんは、48歳で日清食品を創業して、50代でインスタントラーメンを開発した人です。
NHKの朝ドラ「まんぷく」という番組でもおなじみですので、ご覧になった方も随分いらっしゃると思います。
女優の安藤 サクラさん扮する「立花福子さん」と、安藤百福さんは、長谷川 博巳さん扮する「立花萬平さん」の夫婦愛と、松坂 慶子さん扮する「今井 鈴さん」の武士の末えいであることに誇りを持ち、何かにつけて「私は武士の娘なんですよ」という、時代を感じましたよね。
安藤百福さんに戻りますが、どんな人生だったのか?というお話をしますね。
Amazonでも沢山の本が出ておりました。
「転んでもただでは起きるな!」という本ですが、帯には、~絶対に諦めない波乱万丈の人生~となっております。その他にも沢山、本が出ておりました。
人生は順風満帆だったわけではありません。
むしろ苦難や挫折に満ちており、47歳のころには全財産を失う不幸にあっています。
そんなところから、再起し、「20世紀最大の発明」の一つに数えられるカップヌードルを発明した人です。
安藤氏は幼いころに両親を亡くし、兄2人、妹1人とともに祖父母に引き取られています。
繊維や織物を扱う呉服屋を営む祖父母のしつけは厳しく、「物心つく頃には、掃除から洗濯、炊事、雑用まで何でも言いつけられ」ましたが、安藤氏によると、「両親がいなくてもまっとうに育つことができたのは、祖父母の厳しいしつけのたまものと感謝している」としています。
安藤氏は商売は面白いものと感じて、次々に事業に着手し、ことごとく成功させます。その時に言った話が「何か人の役に立つことはないかと周辺を見渡すと事業のヒントはいくらでも見つかる」と言っています。
しかし、その後、いくつもの失敗や不幸を経験して、47歳の時に財産もすべてを失ってしまいます。普通、この年齢でこれほどの不幸を経験すれば、ほとんどの人は再起への希望を失ってしまいます。
しかし安藤氏はここから「チキンラーメン」の開発に着手するわけです。
見事に成功しただけでなく、「世界の食を変える」ほどの革命を成し遂げることになったのです。
この時に安藤氏が語っているのは、「失ったのは財産だけではないか。その分だけ経験が血や肉となって身についた」と言っているんですね。
わずかな光を頼りに、進み続ける日々を経て、試行錯誤の連続、気の遠くなるような作業をくり返しながら、安藤氏は気づきます。
「食品の開発は、たった一つしかない絶妙なバランスを発見するまで、これでもかこれでもかと追及し続ける仕事」
要するに新たな挑戦から結果に結び付けるには、わずかな光を見つけて、誰が何と言おうと自分を信じて、進み続ける事!
そして、気の遠くなるような試行錯誤を、何回も繰り返し、納得がいくまで諦めないという事ではないかと思います。
これって、起業を志した人に勇気をもたらしませんか?
その2 65歳でKFC創業者のカーネル・サンダース
二人目は、皆さん、よくご存知のカーネル・サンダースのお話です。
カーネル・サンダースがケンタッキーフライドチキン(KFC)を正式に立ち上げたのは65歳の時なんですね。
50代のあなたは今、起業するのに、もうこんな年齢だからと思っていませんか?
まだまだ上がありますね。
ハッキリ言って、年齢で縛りをつけているのは、あなた自身だと思いませんか?
カーネル・サンダースがKFCを立ち上げた65歳って、普通ならば引退してもおかしくない年齢ですね。
しかもそのときカーネルは、事業を整理して借金を返済したため無一文でした。
ここからの逆転劇を達成した人です。
生い立ちは、5歳のときに父親を亡くし、母は女手ひとつで3人の子どもを育てていました。
10歳になったカーネルは農場に住み込みで働き始めますが、幼すぎて仕事に身が入らず、たった一か月でクビに。その時に母に言われたのが、「仕事で大切なのは、ベストを尽くすこと」と言われて、その教えが、一生の生き方の基盤となっていきます。
新たな農場で働いた時は、朝4時から夜10時すぎまで、懸命に働き、農場主から褒められます。
「できることは全てやる、やるなら最善を尽くす」
カーネルは、わずか11歳のときにビジネスの根幹を学んだわけです。
いきなりケンタッキー・フライド・チキンではなく、その後、軍隊入隊、鍛冶師(かじし)見習い、機関士、弁護士実習生、保線作業員、保険のセールスマン、フェリー運航会社の設立、商工会議所の秘書とめまぐるしく職を変えました。
31歳になったカーネルはガスライトの製造会社を立ち上げました。その後、ライバルに押され、社会情勢からも、全財産を失ってしまいます。
それでもすぐに気持ちを切り替えられるのが、カーネルのすごいところです。
保険の営業経験があったカーネルはミシュラン・タイヤの営業マンになり、すぐに全米1位の売り上げを誇るTOPセールスに上り詰めます。
順風満帆かと思われましたが、この仕事もわずか一年半である事故をきっかけに終了します。
36歳の時に、エンジンがかからない車を、もう一台の車で牽引して吊橋を通った瞬間、吊橋のロープが切れてクルマごと橋の下に転落。頭部の裂傷(れっしょう)と腕の骨折、打撲と重傷を負ってしまいます。
この事故をきっかけにカーネルはミシュランを退社し、無職になってしまいます。
その後、ガソリンスタンドをやり、朝5時から深夜2時まで働き、上手くいきますが、世界恐慌の時代の流れで、無職になってしまいます。
カーネルは、実は大の料理好きなんです。
7歳のとき、初めて焼いたパンを、母の働く工場に届けたところ、母も工場の女性たちも大絶賛。その時、カーネルは料理で人をしあわせにできることを体験しました。
そして、レストラン事業スタート。
この時に、母の味をもとにつくったフライドチキンにマッシュポテト、グレイビーソース、焼きたてのビスケットと新鮮な野菜を付けて提供します。
圧力鍋の威力にはカーネルも驚き、さらに研究を重ね、これまで30分以上かかっていたフライドチキンの調理もわずか7分半に短縮することに成功しました。
レストランは繁盛していましたが、新たな道路が完成したことで、カーネルのレストランはドライブの主ルートからはずれてしまい、客足が大幅に遠のいて、カーネルは20年以上続けたレストランを泣く泣く売却することになってしまいます。
税金の支払いのために借りた借金を返すとカーネルの手元にはなにも残らず、65歳で、またもや無一文!
車にスパイスと圧力鍋を積みこんだカーネルは、車で寝泊まりしながら全米のレストランにケンタッキーフライドチキンを売り込みが始まります。そして1,010回目にしてようやく最初の契約が獲得できたのです。
テイクアウト需要が生まれたことでKFCの人気は加速し、1955年にケンタッキーフライドチキンコーポレーションを設立した後、わずか8年で店舗数は600店に増えました。
亡くなる直前までKFC親善大使を務め、世界中を走り回って普及に努めました。
90歳でこの世を去ったカーネルです!
想像を絶する波乱に満ちたカーネルの生涯、いかがだったでしょうか?
50代以降から起業を始めたあなたは、このカーネルの不屈の精神を受け取れたんでは、ないでしょうか?
へこたれては、いけないってね!!
普通の人ならくじけてしまいそうな事故や商売の危機に見舞われつつも、前を向き突き進むカーネルですね。
どん底からでも這い上がる、不屈の精神の根底にあるものは、10歳のときに母から教えられた「できることは全てやる。やるなら最善を尽くす」という信念ではないでしょうか?
その3 共通する成功法則とは?
ここまで聞かれて、安藤百福さんとカーネルサンダースさんの二人に共通することは、なんだと思いますか?
少し頭を整理しましょうね。
お二人の人生に共通することは、何と言っても波瀾万丈の人生だ!!と感じませんでしたか?
「事実は小説より奇なり」という、諺を聴かれたことはないでしょうか?
実は、イギリスの詩人、バイロンの作品「ドン・ジュアン」の一説にある表現です。
現実に起こる出来事のなかには、巧みに作られた小説よりも奇妙で不可思議なことがあるという意味なんですが、まさに二人の人生は、ジェットコースターのような、「事実は小説より奇なり」の人生だなと感じますよね。
どん底に落ちたことが、一回、二回ではなく、数えられないほどの逆境からの逆転劇ですよね。
挑戦の数も、無数あり、その都度、試行錯誤の数があり、失敗の数があり、失意のどん底経験があり、無一文経験があり…
なんて、数えだしたらキリがありませんね。
また、立ち直りの早いことは天下一品ですね。
そして、どんなことがあっても、自分に諦めないで、貫き通した事ではないかと思うんです。
できることは全てやる!やるなら最善を尽くすと、仕事に正面切って立ち向かい、仕事に謙虚で、前向きに取り組んでいる点ではないかと思います。
まとめ
人生に遅すぎる事はありません。 経験と情熱があれば、何歳からでも成功できることを教えてくれますね。
誰よりも苦しんだ人が、誰よりも楽しい人生になるという事です。
もしあなたが、自分の人生を変えたいと、起業で挑戦をしたいと望むのであれば、今すぐ、最初の一歩を踏み出していきましょうね。
千里の道も一歩からです!!
いかがでしたでしょうか?
今回は、【この歳になって】遅咲きの起業成功者というお話をしました。
というお話をしました。
1)50代でインスタントラーメンを開発の安藤百福(あんどうももふく)
2)65歳でKFC(ケンタッキー・フライド・チキン)創業者のカーネル・サンダース
3)共通する成功法則とは?
でした。
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